艶やかに目元に紅を刷くのはきり丸の手癖だ。忍術学園を卒業した先輩のものや、同級生のなかでも女装をあきらめた者がくれたもの、きり丸の手元にはいまや市井の女に負けるとも劣らない数の化粧品が揃っている。
実習にアルバイトにあけくれるきり丸は、もはやなかば趣味とすらいえるくらいにそろえたそれらを使う機会も尽きない。忍術学園のなかでも、あの家に帰っても、最近は苦無や教科書とともに口紅や目元の紅を常に持ち歩かずにいられない。
髪は、伸ばしすぎない代わりに艶を保っているし、肌もいまのところで実力でなんとかなっている。所作を研究できているのは、それなりに市井に混じって生活する機会があるからだろう。
得手不得手があるなかで、きり丸にはこういった監察のたぐいのものごとは、得意なことにありつつあった。裏を返せば派手な斬り合いよりも、一度に懐に潜り込んで首をはねる方が得意なのだ。きり丸もそのことに気づいて、最近はそういった科目の学習を意識している。
上級学年になればなるほど、実習の機会は増えるし、座学の機会は減る。それだけ、きり丸が土井に触れることはなくなったし、女装について口を挟むこともなくなっていた。止めることもなければ、褒めることもない。
髪を下の方で縛って、結んだ紐ごと払う。今日は実習で、もしかしたら胸の中に仕込んだ苦無を振るうこともあるかもしれない。別にどうということもないはずなのに、なんだかそんな気分で、誰もいない教室で化粧を仕上げて、きり丸はため息を吐いた。
朝は早くても平気だった。朝日の光を浴びながら仕上げた化粧は、可もなく不可もなく、言うならば平均的な百点だった。
辰の刻に出かけたのでは遅いだろう。すこし待てば土井に会えるかと思ったけれども、それ自体が女々しいのできり丸は立ち上がった。
学園の中にいるときから油断も隙もあったものではない。級友ですら、学園で出された課題の関係で敵関係になるかもしれない。だから、もう誰かに声をかけるのもやめて学園を出ようと思ったのに、それなのに。
「ああ、きり丸」
行き合わせたのは、会いたかった人。
たいていそんな風に会うものだから、きり丸は時々、自分の持っている思いが、常に抱え込んで離れない病なのか、それともほんの一瞬で燃え上がる熱病なのか、それがわからなくなる。
「先生、今は違うよ」
「きり子、ってか?」
見慣れたもので平然と笑われては、気合いを入れたこちらとしては些かの切なさはある。それでも、そういったものを読ませないのが忍者だとわからないほど、きり丸は幼くなかった。
ああ、年を経るってなんてやっかい。
「そうそう。春売りのきり子よ」
自棄を起こして言う。この態度はまだ子供だとわかっている。それでも土井がほんのすこしも動じてくれなかったのに腹が立つのは事実で、だから単純に春売りするつもりなんてないのに、そう言ってみた。
「そうか、春を売るのか」
土井は片眉を上げた。
不機嫌そうな仕草をされるとなんだかうれしくなる自分は単純だった。けれどもそれより早く、土井はほかに誰もいない教室の扉を後ろ手に閉める。
「なにするんですか、俺もう行きますよ」
「なに、まじないだ」
そう言って土井はきり丸の髪を首の根元から払い、人差し指と中指をそろえて頭蓋の付け根から首の後ろのわずかな急所を撫でて、少し膨らんだ骨に行き着いた。それは急所であると同時に性感帯でもあり、きり丸が思わず背をしならせて油断してた、あ、という声を出すのと同時に、土井は膨らんだ骨の僅かな上、柔らかな部分にすいついた。
「せんせ、痕」
「つけてるんだよ」
それはとても甘い言葉で、ああこれから実習なのに、この人はいったいなにをやっているんだろうかと思うとばかばかしくて、きり丸は細い喘ぎ声をあげながら笑った。こうしていとおしそうに扱われるのは、なんだか日頃のことも自分が土井に向ける欲情の間隔もすべて無意味に目の前の存在がほしくなる。
「髪、上げられない」
「いいだろ、別に」
赤い痕を確認できないのでわからないが、明日から女装でないふつうの装いに戻ったとき、いつもの上の方でひとつで結った髪をどうしろというのだろう。
仕方がないのできり丸は土井の唇を許しながら、その肩口に顔を埋めた。慣れた教室や墨、火薬のにおいがして、ああここは帰ってくるところなんだなぁと実習に行く前に思えた自分は幸せ者だと思った。
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2011/02/11
初出はピクシブ。女装が公式なんてとても生きやすくて