「妙な客に入れ込まれることは勲章だよ」
立花はそう言って笑うだけだったが、摂津にとっては大きな問題だ。当座になんらかの処置を倶楽部の方からしてくれることはなさそうだ。実際に迷惑を掛けられているわけではない。ただひたすら、毎日通い詰めてきては、なにをするでもなく摂津のことをじっと見て、そして帰って行く。そういう客がいるだけのことだ。
どうにも扱いにくい人だ、という当初の予想は大きくは外れておらず、彼が来るたびに、やたらと気遣わしげな顔ばかりをされるので摂津は困った。たとえばいつかの立花や、今で言えば綾部のようにとんでもない数のファンを誇るダンサーならばそれもあるだろうが、摂津はまだ駆け出しの身の上だ。
そもそも自分を目当てにする客がいることすら恐れ多いくらいだ。
確かにダンサーはろくでもない職業だ。そしてここはろくでもない倶楽部街だ。そのふたつの要素が合わさるだけで心配性の人が心配になってしまうのはわかる。現に土井だってそうなのだろう。
とはいえ、摂津にとってはこれは仕事であう。人は娯楽をなくして生きていくことがいけないし、一番手っとり早い娯楽は人が人に提供するものだ。そういう意味でこの仕事には金がかからないしものの手間もいらない。衣装や道具は自分でそろえなくてはならないけれども、ちょっと、然るべき人にうまくお強請りさえすればお小遣いはすぐにもらえる。
自分はそう言った意味ではプライドがなかったし、黒門なんかにはたぶん馬鹿にされていると思う。だがそうでもしてでもとりあえず生きたいと思ってみたからには仕方がない。
そんな不真面目な生き方の象徴みたいな存在の自分に、土井のような人がどうして自分に入れあげてしまったのかさっぱりわからない。表の世界で、まっとうな仕事をしているであろう人だ。こちら側に踏み込んできたのはつきあいか何かでだし、ほかのダンサーには目もくれず摂津を選んでくれるところは実際のところ気分がいい。いいけれども、困っている。
「体まで売ってるのか?」
なんてはじめに聞かれたときには驚いたものだ。
誰かに抱かれたことがあるかと言えば、ない。商品価値と得られる対価のバランスを考えたときに、体をなげうってもいいかもしれないと思えるほどの対象に今のところ出会えていないというのがその理由だ。
金銭的価値でははかりにくいものがあるし、即物的に目の前の金に飛びつくのも大切だが、ときとして大きな商品価値があるものほどじっくりと時を見るべきなのだ。摂津はあくまでも後腐れのない程度にしか甘えないし、立花はそのあたりのフォローをうまくしてくれていた。
こないだセンターに出してくれたのだって、おそらく腕を買ってくれたのだと思う。
「今日も来たんですか?」
摂津はあきれて土井に声をかけた。
ステージでショーを見せるのとは別口で、ホールにはダンサーたちが出て、顧客と思い思いに踊ってはチップをはずんでもらっていた。摂津だって頼めばもっといいお小遣いがもらえる相手がこのホールにいることを知っているのに、目があったわけでもないのに、なぜか選んで土井のところまで行ってしまった。たいがい悪趣味だ。
「そうだなぁ」
「高い趣味でしょ」
こういった倶楽部にありがちなことに、入場料とドリンク代は別だ。
給仕を捕まえてその場でドリンクを注文するため、幾ら払ったかなんてわからないでぼんやりとお金を落としていってくれる人のほうが多い。もちろんそういう人の方が客としてうれしいし、摂津だってそういう客につくべきだ。わかっている。わかっているのに、自分にうっかりいれ込んでいるまじめそうな人が、見限ることができない。
彼が何の仕事をしているのかはわからない。服の着こなしなどはだらしないけれども、所作はしっかりしていた。案外堅気ではないのかもしれない。知りたいと思えばそれが隙になるので、聞いたことはないからわからないけれども。
「お前の様子を見に来ているだけだ」
「心配しなくても元気ですよ」
そんなことを言うならば別に連絡先を教えてくれたっていいし教えたっていい。真実を教えるわけではないが全くの嘘を教えることもしないだろう。ホットパンツのポケットは紙切れ一枚を隠すくらいは造作ない。
しかし土井はそういった下心にまみれたことは、なにもしなかった。ただ、触れようともしないで、見に来るだけだ。
摂津の見た目が好きなだけならば、毎日ステージに立てるほどのスターではない摂津の出演予定をどこかから聞き出して、ステージに上がる日だけ出向けばいい話だ。現に摂津がいまホールに出ているのは、今日はステージに立たない日だから、だ。
「変な人ですね」
「放っておいてくれてもいいんだぞ」
「そうですか、では」
そういわれたら、いちいち相手にしてやる義理もない。もともといつも来る客がいるのを見かけて、近くに寄っただけのことだ。
最近は、然るべき人にお強請りして、少額のお小遣いを巻き上げるのがあまり気が進まなかった。ホールのどこかでこの人が見ているかもしれないと思うと、どうにも罪悪感を覚えるのだ。もっと後ろめたいことだってたくさんしてきたし、この業界で生きていくつもりならばする必要だってきっとあることをわかっている。それでも、この人だけはなぜか特別な目で見てしまう。
「摂津」
「なんです」
「気をつけろよ」
心配するにしてもかけるべき言葉が違うだろう。
何か言い返そうとしたけれども、それよりもはやく、こないだのナンバーでセンター張ってましたよね、と声をかけられて、摂津は営業用の笑顔で振り向いた。たまたま勝ち得た代役だったが、手にしたチャンスは逃さない。そうやって前に出たときに、あまたのダンサーのなかから土井が自分を見つけてくれたのだ。それ以上なんの恐怖を覚える必要がある。
後ろから土井の視線を感じる。さらけ出した太股でも腰でもなく、髪の毛あたりをまっすぐ見られているのがわかる。
下心がないならば近づくべき世界ではない。
自分がこんな存在なのだから。
思えば思うほど彼の視線が強くなる気がした。まさか彼がほかの男と話しているところをにらみ据えているわけではない。自分の意識が変わっていくだけだと摂津はどこかで理解していた。
理解しているだけだ。
(何もいってこないお客さんに、なにをしてやる必要があるの)
確認していると言うよりも、自分に言い聞かせている気分だった。
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2011/06/06
初出はピクシブ。ナイトクラブの踊り子きりちゃんに入れあげる土井先生まじおとなげない