赤と紅の境界

 生まれつき強い色を帯びた髪を、結ばずに下ろしていると、肩のあたりでふわふわと跳ねてほどほどに邪魔なようだった。髪が赤めの生徒ならばほかにも沢山いるが、伝七くらい、目に見えて髪が赤いのはこの学園を見渡しても多くない。
 しかもそこにつく作法委員会の肩書き、自然と伝七は目を引く存在だった。断じてそんな風になりたかったのではないだろうけれども、時々要らぬちょっかいをかけられるのは完璧に損をしているからとしか言いようがないだろう。大きな目に赤い髪、目を引く要素を兼ね備えているのは兵太夫だってずっと思っていたことだ。
 本人はいちいちそんなことを気にしている素振りは見せなかったが、兵太夫はそれがなおのこと気に食わなかった。良い迷惑をしていますとでも嘆いてくれたならば、彼を守るために全力を尽くしてやるというのに、全くかわいくもない。しかし思えば伝七がそんなことを兵太夫に言い出すわけもないわけで、まずその前に素直に、これだけ苛め倒されて何かがひっくり返って兵太夫が好きになったということを認めてくれたらいいのに、彼は何も言わなかった。
 代わりに時折実力を見せつけてくるのが、おぞましいほどに完璧な女装だ、というのならば、まったくもって皮肉なものだ。
 たとえば、兵太夫と同級のきり丸ならば、女性の仕草や顔立ちを研究し尽くしている分、町娘も城の姫様も遊び女もお手のものだった。そういった意味での面白味があるわけではないけれども、町娘にするのには少し整いすぎて、城の姫様にするのには少し可愛げに欠けて、遊び女にするのには少し純粋すぎる、人形のような完璧さを作り出すことができる、それが伝七の腕だった。
 兵太夫が、委員会に顔を出さない伝七をからかおうと思いつつ三年い組の長屋を訪ねたときに、ちょうど伝七はその整ったつくりを完璧にして、草履を履きに地面に降りてきたところだった。
 単純に男受けの話ならば、確実にきり丸だとか、あとはたとえば、自分の女装の方がそそられると思う。適切な隙の作り方を心得ていると言ってもいいのかもしれない。伝七の女装はほんとうに完璧すぎておもしろくなかった。手を出しにくいと言っても良い。
 それはどうしてわかったかというと、ちょうど兵太夫の歩いてきたのと逆の方角で、名前も知らない四年生が数人、女装をした伝七に目を留めて、あんぐりと口を開けて固まっているのが見えたからだ。どうせあの目立つ見た目の割になにもできないだろうと、伝七のことを馬鹿にしていた口の生徒だろうと兵太夫にはわかった。
 あれは罠を回避するというきわめて重要な能力を持っているし、火器の扱いならば三年間火薬委員会を務めあげている伊助に張ることができるだろう。ふたりの違いは、伊助は火器を自分の武器にする気がないから火薬委員会に勤め続けているのであって、伝七は自分の得意の武器であると思っているから作法から動かないと言うところか。
 そういうのを数えることはたやすかったが、それにしても自分はずいぶんとあっさりと伝七に見とれるものだな、と思った。赤みの強い髪が草履を履くためにかがむと邪魔なのか、右手でさっとその裾を払う仕草さえも、完璧な人形にふさわしいものに思えた。赤みの強い着物はおそらく年齢をもう少し上に見せるために選んだのだろうが、完璧な少女になりきっているが故に、その着物の色味は、いまの伝七のなりにはいっそ下品に見えるくらいだった。
「あ、」
 伝七は兵太夫を見つけて、わざとらしく声を出した。表情も既に完璧すぎるくらいに、すこし驚いてはにかんだ表情と変わっていた。一つ上の学年の連中には見向きもしないで、兵太夫の方にだけは気づいた振りをするわざとらしさが、とても気に食わない。気に食わないけれども、おぞましいことに、乗ってやる気になっている自分がいる。
「伝七、実習?」
「そうだが、委員会に顔を出してから出ようと思っていたんだ。ちょうどいい」
 兵太夫の顔を見ただけでぎりぎりと表情を歪ませて、きゃんきゃんと叫んでいた子供はそこにいなかった。あるいは伝七を小馬鹿にする連中を前に、子供はひっそりとかくれんぽをするつもりかもしれない。それならばそれで、おそらく、兵太夫は隠れた子供を庇いつつも、このたちの悪い少女の思いに乗せられなくてはならないのだろうか。
「なあに、なにか手伝ってほしいの」
「鼻緒が馴染むまで手を貸してくれ」
 しれっと言い切る伝七が、嘘のように見えた。
 兵太夫と言えば罠にかけるのが得意で、それに体を触れさせるなんて伝七が好き好んでやることだとは思わない。一つ上の連中に兵太夫がどう見えるのか、と思えば、やはり罠にかけてばかり来る生意気な作法の下級生だろう。
 真っ赤な帯に、淡紅のしぼり地に赤い梅を散らした着物だった。遠目に見たときには赤すぎて悪趣味だと思ったけれども、近くで見れば、彼の華やかな色をした髪には、これくらいの着物を合わせなければ負けてしまうのだとわかった。それくらいに、整いすぎた化粧と顔立ちに、完璧な造形にいろあわせ。
 おもしろくないのは簡単に落とせそうには見えないからだ。完璧なものというのは、自分ではとても手が届かないから、きれいだと思えてもおもしろくないものだ。
 それを伝七ときたら、むしろ自分から兵太夫の手に落ちてくるのだという。馬鹿じゃないのかと兵太夫は思った。そんな簡単に摘まれる花ではないと言う装いをしておいて、裏腹に簡単に兵太夫に手を取らせるなんて。
 兵太夫は思わず、額に片手を当てて、ため息を吐いた。すると伝七は、すべてをわかっているように、小声で、ばあか、と言った。笑いを含んだ口調は整いすぎた人形から飛び出すのには少々野蛮だった。けれども、かなり淡い紅を乗せた唇が動いて、それとわからないほどの青に染まる目尻が自分の前で僅かに垂れると、そうか、この人形は、自分にだけはどうやら遊びこなすことができるらしい、そう思い出さざるを得ないのだ。
 生意気だ、と兵太夫は思った。伝七のくせに。
「はいはいお嬢様、お手をどうぞ」
 言いながらも、少し乱暴な手つきで伝七の手首を引いた。わ、と細い声でいまさら慌てるなら、一丁前に自分を煽るなんてしなければいいのに。
「きちんと送れよ」
「それはどうかな、どこか抜け出そうかな」
「僕は実習があるんだ」
「さぼっちゃいなよ」
「ふざけるな!」
 少し引き出せば出てくる伝七の子供じみた仕草を見かけるたびに、まだ彼は自分の知っている伝七であるということにほっとする。それを自覚できなくなるほど彼が育ちきったとき、自分はどうするのだろう。
 口を開けてぽかんとしていた一つ上の上級生たちのことを思い出した。兵太夫は幸いにして長く伝七といる分だけ、伝七に関してはああいう表情を隠すのが得意なだけだった。握った手越しに伝わる彼の脈の音、歩くたびに揺れて兵太夫の肩をくすぐる伝七の長く赤い髪。
 自分だけのものではいてくれないだろう、それらすべてをどうしたら閉じこめられるのだろう。兵太夫は考えるのだけれども、少女と子供との境界を、不安定に、かつたやすく揺れ動く伝七が好きだから、自分の手の内に納めてもそういったものは見られないのかと思うと、何も方策が見つからず、ただその手の脈をぐっと握りしめる以外できなかった。



2011/05/15
初出はピクシブ。三年生。セルフ女装強化週間のときの