君の好きな艶

 解いた髪は赤みを帯びていた。大胆なその色味は兵太夫が好きなものの一つで、伝七にとっては煩わしいのだという。それもそうだろう、忍ぶのには適しているとは言いがたい赤だ。綺麗な色だと思うけれども、時々、伝七が自分の髪の毛先を摘んで目の前に持ってきては、ため息をついているのも知っている。
 兵太夫は当てにならないものを信じてはいない。気配なんてものは、気づかなくてはならないと言うのと、気づくことができるというのは、全く別だ。人が近づいてくることには気づくことができるが、それが誰か、なんてことは、結構判断するのが難しい。
 そういうとき、伝七の赤い髪はこの上なく分かりやすい彼の証だった。化粧の紅とも違えば、血の朱とも違う、その色はまさしく伝七の髪にふさわしい赤だった。
 情人の髪の色が嫌いな馬鹿がいるものか。
「相変わらず……、馬鹿力だな」
「なんのこと?」
「自覚が、ないの、ヒッ」
 ぎりぎりのところで伝七から抜かずにおいた自分自身を、かわいくないことを言う上の口の代わりに、下の口にぐい、と押し込んだ。精液を出したばかりでまだほんのりと硬度を持っているものは、先ほどまでどろどろにとろかした伝七の中を貫くだけで、また硬くなるような気がした。
「も、ばか、」
「伝七のことになると馬鹿になっちゃうんだよ」
「そういう、心にも、ないこと、やめ、う」
 押し倒した伝七の赤い髪が綺麗に広がって、兵太夫はわざとその髪の上に手を置いた。適当に腰を揺らしながら、伝七が何か文句を垂れているのを聞き流しながら、その髪の先を指に絡めた。
 何の手入れをしているのか知らないが、そこそこ商売道具にしている自覚はあるのだろう(当たり前だが、兵太夫は伝七が今どこでどういう仕事をしているのか知らない)。学園にいた頃から染めたこともない、特徴的な、まるで南蛮を知っているかのような赤は、これだけは、どれだけ二人の姿が変わっても、今まで通りのままであってくれるようだった。
「兵太夫、なんだよ」
「なんだよ、って何さ」
「出したんだろ」
 細切れな口調で言うことは、相変わらずかわいくなかった。ああ、あの紫の制服に身を包んでいた頃、あの恥じらいはどこへいってしまったのだろう。体はすっかり貪欲になっているくせに、言葉はどんどんかわいくなくなる。いや、態度には出ているから、結構だと言えば結構なのだが。
「出したから、なんだよ」
 髪を指に絡めたまま、腰を押し込んだ。もう硬くないものは、伝七の中でぐにゅりと曲がって、漏れ出てきた自分の精液の存在が、自分たちのしでかしたことを示している。  伝七は腰をひねったが、浮かせて逃げたりはしない。全く、この体が毒でも打つことができて、伝七の動きをとどめることができればいいのに。あるいは、自分の出したもので、伝七がほんとうに子を宿して動けなくなればいいのに。
 そうしたら、兵太夫は思った。そうしたら自分は伝七を囲うのだろう。それが安全ならば、笹山の家に帰ったっていい。少なくとも、
「とっとと、抜けよ」
 そんな減らず口は叩かせないだろう。
 とは言え、もう若くはないこんな体では、伝七のなかで抜かずにもう一発なんてことはさすがにできないだろう。渋々腰を引くと、そのくせ、伝七は、口惜しそうな表情で、ああ、と鳴く。
 どちらかにしろ。
 はっきりとは言わずに、兵太夫は伝七の髪を指に絡めたまま、横に転がった。なだれ込んだ安い宿の薄い布団だが、畳やら野宿やらすることに比べれば随分とましだろう。
 伝七と会うことのできる機会はめっきり減った。学園というのはやはり大人に庇護された状況下、なにをしたってふたりの秘め事は秘め事になってすらいなかったとは思うのだけれども、それでも幸せだった。
 卒業して、疎遠になってからこそ、ああ、あれが好きだったのだなぁ、とようやく気づくことができた。幼く囁いていた意地の悪い言葉も愛の言葉も、全部、所詮は子供のそれだったのだと思う。
 以来、自分の仕事の傍ら、伝七を見つけると必ず腕を引く。お互いにどんな格好をしてみようとも、この赤い髪だけは見つけられる。
 伝七は、横に転がって髪をいじっている兵太夫のことを、それは居心地が悪そうな顔をして見ていた。兵太夫の方は勝手に伝七を情人にしているつもりだが、伝七がそれを受け入れたことはない。若かった頃は兵太夫の言葉に、彼は彼で幼くたぶらかされていたものだったが、ここ最近はまったくそんな気配もない。兵太夫がなにか決定的な言葉を吐こうとすれば、唇を塞いでくる始末だ。それはそれで情熱的なこと、大いに結構なのだが。
「傷まないね」
「気をつけているからな」
「ふうん」
 伝七は昔のように、何でもかんでも、お前には関係ない、と言って否定してかかるようなことはなくなった。言っても問題のないことを隠すのはやめたのだという。隠し切れていたかと言えば昔からそんなことはなかったのだが、彼がその気ならばそれで結構だろう。
 何に気をつけているのだろうかと気になったが。
「痛い」
「あ、ごめん、引っ張った」
「どうせわざとだろう」
「なんでばれてるかなぁ」
「言いたいことがあるときくらいはわかる」
 中味は分からないがな。
 伝七はさりげなく、いつも、とても上手に兵太夫の心をくすぐる。会話も碌にしない仲だったくせに、何らかの伝達したいことを見つけるのは、ほんとうに得意だった。いつもそういう場面では、うまく兵太夫の本音を導きだす。
 まったく、そんな気もないくせに。
 これだけ長い期間、本気で抵抗することもしないで、ずっと抱かれ続けてくれているのだから、自分たちの関係もいい加減、まったく何もないというわけではないと思うのだ。ただ、どんどん隠し事が上手になる、大人になっていく伝七を隣で見せつけられていると、彼の変わらない部分を愛でるしかできなくなる。
 その髪だとか、兵太夫の与える愛撫に身悶える様だとか、声だとか。兵太夫はつくづく自分が臆病だと自覚しているが、そういった目で見て分かる反応しか、確証を得られるものがなかったのだ。
 伝七は、兵太夫の顔から暫く目をそらして、兵太夫の鎖骨あたりを見ていた。夏の日にとっつかまえたままなだれこんだ二人の衣服なんてとっくに脱ぎ捨てられていて、蝋燭に照らされたその目までも赤色に揺らめいていた。
「伝七」
 意図もなく呼んだ。
 顔を上げた伝七は兵太夫の顔を見て、さきほどのしおらしい態度が嘘みたいに、ふ、と笑った。
「なんだよ、気持ち悪い」
「だってお前、なんて顔して」
「煩い」
「兵太夫、お前、僕の髪が好きなんだろ」
 見透かしたように偉そうな口を利く伝七がひどく気に食わなかった。髪だけだと思うな、その声も、そのかわいくない態度も、お前の昔も今もこれからも、全部好きだ、そう言えば、彼は目の前でどんな顔をするつもりだろうか。
 文句を畳みかけようと思ったが、それよりもはやく、開こうとした唇を、伝七の指にふさがれた。兵太夫には、肝心なことを言わせない、そんな色気は身につけてくれなくてもよかったのに。
「だから、僕は、髪を手入れするんだ」
「……へえ」
 実に、かわいくない。
 優位に立たれたような表情をされて、兵太夫はつい、また、髪を強く引いた。今度こそ本気で、痛い、馬鹿、というその口がようやく兵太夫の知っている言葉を紡いだから、兵太夫は安心してその唇を唇で塞いだ。



2011/09/04
初出はピクシブ。お誕生日祝いとは思えない陰気くさい話でした