組み敷いたとき、その毛先はまだすこし濡れていた。もともと色の浅い髪だけれども、暗い部屋の中で、まだ濡れているそれは、いつもの色よりも少し黒く見えた。
自分の方は、どうだろう。目立つ色をした前髪は、日に当たるとほんとうにまぶしいんだ、と、自分の下にいる喜三太が笑って言っていたっけ。雨に濡れると、すこしは後ろの髪に色がなじむのだろうか。考えても詮無いことだ。自分の髪を自分で拝む機会は多くない。
別に、いちいち雰囲気なんて考えて生きているわけではない。そういうことをするのには、自分達はすこしばかり距離が近すぎた。もうすこし遠ければ、いちいちなにかを演出しようかと思えるのかも知れないのに。
「金吾、甘えんぼ」
それに、何かしようとするよりも、こうやって喜三太が直接くれる言葉の方が、よほど、来るものがある。
「悪いか?」
「ううん」
喜三太だって手慣れたもので、布団を二組敷いて、三寸ほどの隙間を作っておいて。距離があると言えばあるし、半身だけ寝返りを打てばすぐに相手の布団に潜り込めるし。そういう距離が好きなのは喜三太だし、たぶん喜三太がそうだと言うことは、金吾もそうなのだろう。
鏡に合わせたというのには自分達はあまりにも似ていなかった。しかしお互いの足りないところをあまりにも上手く埋め合わせることが出来た。それをなんと言えばいいのか、言葉が得意ではない金吾には分からなかった。ただ、そうやって喜三太が甘えてくれるのが自分だけだという優越感がもたらす意味のない充足が、つまり恋なのだと言うことは分かっていた。
「最後までする?」
「最後までしたらしんどいよぉ」
「そうだなぁ」
金吾としてはほんとうは喜三太の中で果てたいという思いはあるのだが(なにせあれはとても気持ちが良いのだ)とてつもない負担が彼にかかるらしいのは矢張りいやだった。しかたがないので、実際にそれをするのを模した体勢を取ることになる。
左肘を喜三太の顔の横につけて、口を吸った。初めは挨拶のように小さく触れて、ふたりで思わず笑いあった。そんなふうに子供みたいな口吸いだけでは済まされない、とろとろになるような口吸いがそのあとに待っている。
喜三太はどうも湿り気のあるものの扱いが上手くて、他のあらゆる好意に関して自分の方が上手だと言い張りたい金吾としても、口吸いだけは喜三太には勝てないと思う。なめくじよりもよほど熱を帯びて、なによりも金吾が触れたいと思う舌が、金吾の舌の根本辺りに吸い付いてくる。ひどく気持ちが良い。彼に理性を根こそぎ持って行かれそうになる。
「喜三太、駄目だよ」
「なにが?」
「そんなに吸ったら、我慢できなくなる」
金吾はそう言って、喜三太のぽってりとした下の唇を小さく吸った。喜三太はその辺りがすこし弱くて、金吾の吸い上げる口に反応したように両肩が跳ねた。
ああ可愛い。
自分の手で、流される喜三太。
ついそのまま後ろに手を伸ばしそうになって、いけない、と金吾は戒めた。喜三太に気持ちよくなって欲しいけれども、喜三太を傷つけるのだけはいやだった。彼が今日はしないというならば、最後まですることはない。たとえ気力が足りないと言われても、それは金吾にとって曲げてはならない一本の規則だった。
「金吾」
呼ぶだけ呼んで、喜三太は何も言わずに金吾の寝間着の裾を割った。ほんの少し手を潜らせれば、少し硬くなった金吾の性器に行き当たって、喜三太ははにゃ、という相変わらずな声で笑った。
この雰囲気で勃っていなければ男ではない。
と思いながらも、実は自分の方が欲しがってばかりで、喜三太が乗り気でなかったらどうしようとは思うのだ。だから金吾も余裕のない手で、喜三太がしてくれたのと同じように、彼の素肌を探る。
それこそまだ精通もなければ勃起も知らなかった頃から見慣れている彼の性器だが、やはり男は男だと言うことで、きちんと育っているところを見ると嬉しいような複雑なような心地がした。
「なあに、またその顔?」
「お前もいつか女を抱くんだなぁ」
「そうだよ、こんなのするのは、学園にいる間だけ」
喜三太はそう言いながら、いやらしい手つきで二人のものをまとめて支えた。妙な潔さはむしろ金吾よりも秀でていて、金吾が触れるのをためらう瞬間に絶妙に、色を帯びて本音を誤魔化しながら滑り込んでくる。ああ、だからお前のそう言うところを心配しているのだと何度伝えれば理解してくれるのだろう。
「じゃあ、そんな顔すんなよな」
「はにゃあ?」
自覚のない彼は首をかしげる。
喜三太は知らないのだ。暗い山の中に取り残されて夜でも目が利くようになったのは、喜三太だけではなくて金吾もだということ。だから、口を吸えば嬉しそうに笑うし、本音を裏切ることを言いながら目尻だけではなくて眉尻まで下げて辛そうに笑う喜三太の表情なんて、金吾にはぜんぶ筒抜けであると言うこと。
「……良いから、済ませる」
「金吾ったらせっかち」
「五月蠅いな」
非難する声がだんだんとうわずってきていて、答える自分も似たようなものだ。しばらく、二人の息だけが荒く重なり合って、うまいことの一つや二つでも言ってやれたらどんなにか良いだろうと思うけれども、そうも行かない自分達では不器用に距離を測りかねて。
「っ金吾」
「喜三太」
「もう、ぼく、駄目……」
それでいて達するときにだけ、金吾の名前を呼ぶのは卑怯だと思う。
その悲痛な声がまるで刀のように胸の中に切り込んでくる。
そして金吾はそれを受け流しもしなければ受け止めることもせず、ただ喜三太と共にこれから先の見えない生活のなかにおけるふたりの関係性を思って、心だけが血を流すのを見ている。
*
2011/04/14
初出はピクシブ。五〜六年生くらい。むしゃくしゃしていたらしい(キャプションより)