そこいらの木の先にどうにかこうにか処理した袋槍を使っていた文次郎の、その手元がゆるむ瞬間を三木ヱ門は遠目に見た。ああまずい、思った。
彼の武器は頼りない基準の上に成り立っているが、自分はもっとひどい。今回も文次郎がぎりぎりまで敵を引きつけて、合図がきたら一発ドカーン、って言っていたけれど。
先輩、ジリ貧。
わりと早々に刀を落とされたのが痛かった。拾いに飛び出そうかと思ったけれども文次郎に気配で制された。まだ隠れていられるのに、なにも飛び出す必要なんてないだろう。背中がそう言っていた。
刀が無くなったからと言って、ご自慢の袋槍は御健在だ。
石火矢を愛している。ただそれとこれとは別だ。柔軟性の問題。がらがらと音を立てて支度をして、じっと潜んでひたすら好機を狙う自分とは、大違いの立ち回り。
文次郎は明らかに近接戦闘に向いていた。一方の三木ヱ門は近接戦闘は可もなく不可もない。同級の滝夜叉丸が得意とする中距離が一番苦手で、そうでなければ懐まで潜り込んで切り捨てるのも、遠くから見えない敵を倒すのも三木ヱ門にとっては大差のないことだった。
さて、仮の槍の柄となっていた木の枝が折られて、半分くらいの長さの槍は刀ほどの長さしかない。それも強度は比べものにならないわけで、そうすると敵の刀があの槍の柄をどうにかしてしまうところなんて見えているではないか。
受け止めたそれが放っておいたら、彼のことを真っ二つにしてしまう。両手で仰いで槍の柄で刀を受け止めている。その力がまだ敵の動きを封じているけれども、敵だってこんな木の枝ならば斬れると思ってわざと体勢を変えずに文次郎を押し切ろうとしているのが三木ヱ門には分かった。
片膝をついて刀を受け止める体勢になっている文次郎の気持ちならいやと言うほど分かった。槍を捨ててそこに落ちている刀を拾いに行くのに何歩かかるか数えているとか、次に槍の柄となる棒があたりに落ちていないかとか、そういうことばかり。
自分一人でどうにかすることばかり、三木ヱ門のことはまるで眼中にない。
だからなんだかそのことに腹が立って、三木ヱ門は足首の辺りに隠してあった苦無を二本両手に構えた。苦しませる暇も上げ無いよ、だって苦無ってそういうことでしょう? 立ち上がった一歩、それから敵がこちらに気付いていることを分かっても踏み込む一歩。文次郎の前に滑り出て、押し切ろうとする刀を苦無で流すように落とそうとする。
手首を狙えば文次郎をこれだけ追い詰めた敵は踏み込まずに引いた。頭が良いと思ったし、それよりも後ろの気配が怒るのも分かっていた。ああ、こわい。きっとこれからお説教だ。
でもいまは、そうじゃなくて。
敵うと思って飛び出したわけではなかった。ただ文次郎が攻めきられるなんて見たくなかったので、それで飛び込んだだけだった。そして、自分がほんの一瞬の時間を稼ぎ、文次郎が刀か槍のどちらかの体勢を立て直してくれたら相手をどうにかできるということも分かっていた。
「馬鹿たれ」
「お叱りは後で頂戴します」
静かな声を意識できたか分からない。彼が何を思って怒鳴り声ではなく低く唸るような声を出したのかは分からなかった。深く沈んだのは下段の姿勢の方がまだ得意だったからだ。はっきり言ってしまえば可もなく不可もないというのはいっそ不可よりたちが悪い。教科書以上の立ち回りをすることが出来ない。
右足で飛ぶ。三木ヱ門の目的はひとえにその刀をたたき落とすことにあった。深追いの必要はない。ただ、敵にお引き取り願うだけだった。沈み込んだ姿勢のまま斬りかかった足首はもちろん先に飛び去っていて、下段を攻める弱点で上が拝めない。背後から斬りかかられたらどうしよう。
着地した右足をそのままバネに左に跳ねた。丁度すれ違うように何かが掠めて刃物らしいそれの正体すら分からない。距離を取ったのは、文次郎の最初に取り落とした刀からだ。敵の注意を逸らせば、きっとあとは彼がなんとかしてくれる。
あと二撃、それが三木ヱ門の計算だった。
飛び込んだ足下の木を、またざくっと蹴り飛ばした。木屑や羽虫が振動でふわりと舞った。その隙間をかいくぐるのは矢張り先ほどと同じ飛び道具だった。最低だ、中距離の道具が一番苦手だというのに。そろそろくだらない張り合いを止めて滝夜叉丸に稽古をつけて貰った方が良いのかも知れない。
だがとにかく一撃はこれで躱せたと思った。濃い色の人影は片方、素早く動く文次郎の動きは敵に集中する三木ヱ門にはぼんやりとしか見えない。ただ、彼が動いていると言うことで、これで勝算は出来る。
次に敵が飛ぶ方向は予測できなかった。一度目は文次郎に振りかぶっていた刀を躱して後ろ、そのあとは木のある方へ左。次に三木ヱ門が見渡した周りは丁度綺麗に草が払われていた。誰かが争った後かも知れない。
僅かな逡巡の後三木ヱ門は動かなかった。逡巡があった以上動かない方がマシだと思った。案の定三木ヱ門はほんの三寸ほどの距離で耳元を刀が掠める音を聞いたが、身を捻りながらもその音を頼りに敵の脇腹に苦無の傷をつけることが出来た。
そうして血のにおいをさせればあとは文次郎が背中から一閃、血のにおいを漂わせた獲物が意地を振り絞って木の上に飛んだ。そのにおいを頼って追いかければ殺すことも造作もないが、必要がないと三木ヱ門は判断した。そういう場面ではなかったのだ。
「お前は」
そして懐紙で刀に付着した血を拭き取る先輩をぼんやりと見た。苦無も錆びるぞ、言われて三木ヱ門ははっとして血を拭いた。精密に研ぐのは後にしても、応急処置が武器の長持ちの秘訣であるのは間違いない。
「何故そう、俺を見限ることが出来ない」
文次郎が見ている方向には明らかに石火矢があった。それは三木ヱ門が連れてきた愛しの石火矢で、それを三木ヱ門が使いたくてうずうずしていることを彼は良く知っている。それなのに、ああ、我ながら良く躾けられた後輩だと思って三木ヱ門は可笑しくなった。
「貴方もろとも吹っ飛ぶような砲撃を、私ができると思っておいでですか?」
「だからお前を味方に戦闘になるのは好かん」
「それは私を庇ってしまうからと思い上がってもよろしいのですか?」
自信たっぷりに言ってから、ああ、これはまた鍛錬だ! と叱られるのは分かっていた。それでも、なぜかたまにはそんなことを言ってみたいと思ってしまったのだから、それはもうどうしようもないこと。
「生意気しか言わんお前の何を庇いたくなるんだろうなぁ」
その大きな手のひらが三木ヱ門の頭を不意打ちで撫でた。言葉はいとおしみに満ちていて、問いかけるような語尾をしながらその内側で彼は確信を持っている。驚いて固まって三木ヱ門の前を横切った彼は落としていた袋槍を拾い上げ、ほら、帰るぞ、なんていって手を差し出すものだから。
「潮江先輩」
「質問には答えんぞ」
「こうやって色んな後輩を落としてきたんですか」
たぶん言っている三木ヱ門の顔は真っ赤。彼の答えは、聞きたくないような、あるいは自分だけだと特定して欲しいような。曖昧な、すこし非日常に近い日常の中。
*
2011/02/11
初出はピクシブ。戦う三木ちゃんが書きたかった