毒持ち綿毛

 髪を高いところで結っているのに、さらにふわふわとその毛先が跳ねるものだから、遠目に見た四朗兵衛の頭なんてたんぽぽの綿毛みたいなものだった。若草色の、目に鮮やかな衣は、数ヶ月前に自分たちだって袖を通していたはずなのに、あまりにいまの四朗兵衛に馴染んでいて、いまひとつ自分の色だった頃を思い出せなかった。
 三之助は紫色の上着を置いて、黒い単だけになっていた。裏山の見慣れた景色はとても開けていて、裾野の方に忍術学園が見えた。四朗兵衛は、三之助が頭から水に浸かった池のほとりから生えた木の上、太めの枝にすとんと座っていた。やわらかくてまだ小さな体だが、すこしだけ大人びて手足が伸びてきた。柔らかな彼の思い出を辿るような心地と、これから成熟した男になっていく四朗兵衛を応援したいような心地と、それから自分の手元にあってほしい彼の姿が一致しないことに戸惑う心地がない交ぜになって、いけなかった。
「学園見えてますねー」
「そうだなー」
「先輩、これなら学園帰れますかー?」
「何言ってんだ、俺がいつもしろを連れて帰るんだよ」
 はいはい、と彼の綿毛がふわふわ揺れる。すこし木が前にせり出しているせいで、三之助にはちょうど彼の後ろ姿が見えるだけだ。
 三年生に上がった四朗兵衛。相変わらず口は開いているけれども、体力だけならば同学年同士の誰にも負けない四朗兵衛。短い獲物を振り回す時だけ、きちんと引き結ばれる唇が、端だけ密かに引き上げられる様が、時々三之助の胸の内をかき回す。
 その名前を知らないほど子どもではない。
 自分が四朗兵衛を好いているという事実を受け止めるのにはすこし時間がかかったが、所詮は男、自分の性欲を自分で処理する時に、自然と脳裏に四朗兵衛が浮かんでいた段階で、これがどうやら恋に発展してしまったらしいと言うことを受け止めざるを得なかった。灰色の髪がふわふわと揺れて、頭巾を解いた時に髪がぼさぼさと揺れて、その下から現れる日焼けしていない白い首筋。体育委員会は皆が走り回って日焼けをしているのがふつうだが(藤内と見比べてみればよく分かる)、四朗兵衛は比較的日焼けをしにくい体質のようだった。それがまして、日頃は頭巾で隠している首筋の白さは、目を引くものがあった。
 そこを片手で掴んで、もう片手で彼のもっとあられもないところを暴いて、自分の欲を突っ込んでやりたいと思っていることを既に三之助は自覚している。たぶんある程度三之助を見ているものならば察することの出来ることだと思う。
 三之助は試すように四朗兵衛に手を伸ばし、彼が怖がらないぎりぎりの境界線を踏むか踏まないかでいつも引き返してくる。ただの二年生だったら意味が分からなかったような、悪戯の域を超えた欲を示した踏み込み方をしたりするようになった。三之助はこれでも、教科で学んだことの順番は大まかに覚えている。三年生のどの時期にどのような色事の授業をするかくらいは、頭に入っていた。
「しろー、なんで降りてこないの」
「だって、最近の次屋先輩こわいんです」
「何が」
「僕、からかって、楽しそうでしょう」
 ああ、この子にはお見通しだ。それはもちろん、いくら委員会の先輩だからって、そんな簡単に押し倒したり、口を吸う直前まで踏み込んでからその唇を指で撫でるだけで諦めることなんてしないだろう。現に滝夜叉丸にそんなことをされたことはない。もっとも小平太は滝夜叉丸にそういうことをしていたようだが、それはふたりがそういう関係だからだろう。
 はじめ四朗兵衛がまだ一年生や、二年生の初めだった頃、小平太と滝夜叉丸のそういう特殊な接触と、自分たちの関係性を仕分けることは、もちろんできていなかった。それから暫くすると、それが特殊なことだとわかり、誰にでもそういうことをするわけではないということを知ったようだった。そして最後に、三之助にそういうことを仕掛けられるようになって、自分に向けられる感情の特殊さを知ったようだった。
 歯がゆい心地もあるし、どうしていいかわからないままで途方に暮れることの方が多かった。三之助だって、このひとつ年下のぼへらぼへらとした後輩を夜の妄想の共にしているなんて考えたくはなかった。それでも止められないものは止められないのである。
「しろは、俺がしろのことからかってるって、思うの?」
 背中を向けていた綿毛が、くるりと首を捻って三之助を見た。まるい目は相変わらず、唇は昔よりも引き結ばれていることが増えたが、それはたぶん三之助に口吸いの真似事をされて、開けっ放しではまずいということに気づいたのだろう。そういう意味では自分の欲も、彼の役に立っているのかもしれない。
「わかんない、です」
 四朗兵衛はいつも通りのんびりとした口調で答えて、裏腹に俊敏な動きで木から飛び降りた。その仕草に不安を覚えることもなくなってしまった。身長の数倍の高さから降りることを心配していたら、忍者は務まらない。
 彼も忍者のたまごなのだ。
「もっと、近づいてくれないと、わかんない、です」
 頭を殴られたような衝撃があった。
 三之助も一年前、どれだけ色恋沙汰のことを分かっていたか分からない。四朗兵衛だってそうだろう。だからといって近づくのがこわいのは、四朗兵衛に拒絶されるのがこわかったからだった。そして彼は今、三之助の方から近づいてくるように要求してくる、なんて。
「近づいたら、俺、我慢、できなくなるよ?」
「何をですか?」
 ああもしかすると、四朗兵衛はすべて見通しているのかもしれない。三之助の持つほの暗い欲、四朗兵衛の首筋を内面から来る紅潮で染め上げて、高い声で泣きわめく彼を組み敷いてやりたいという欲求。そして、それらが沸いてくるみなもととなってしまっているようなもの、四朗兵衛に対する恋情。
 何が先に立ったのか分からない。欲か、恋情か、あるいは単純に後輩を可愛がる心地か。何もかもが混ざり合った先に、四朗兵衛が立っている。裏山の見慣れた景色、少し手を伸ばせば届きそうなところ、ああどうしてふたりきりなのだろう。滝夜叉丸と金吾、新しい一年生はどこへ行ってしまったのだろう。ふたりきりだというのに、自分は一体何を躊躇っているというのだろう。
「こわいんじゃないの」
「先輩に、思うがままに生きてもらえないのは、こわいですよね」
 四朗兵衛は、僅かに口を開けたまま唇の端を上げた。こんなたちの悪い表情をしているのに、目元は何時も通りまあるく、髪と同じように色の薄い目玉がこちらを見て、まつげに取り囲まれて笑っている。
 ああ、可愛い後輩、俺の噛み千切りたい衝動。
「しろ、おいでよ」
 三之助が手を伸ばせば、無邪気な顔をまだ残しているはずの四朗兵衛の熱がこちらへ一歩。耐えきれずに自分が踏み出す一歩。あとは、日が暮れるそのときまで、ふたりしか知らない景色。



2011/03/24
初出はピクシブ。年齢操作+1で初めてのつぎしろ ツギメン目指して迷子